先輩ママが教えます。塾なし『家庭学習』の仕方と意義。子供の寄り添い方。

子供にかけるのは、『お金』ではなく『愛情』と『優しい言葉』だとおもうんだけど。声のかけ方で子供はグングンのびる。

塾に行けば子供は幸せになれるのか?

小さい赤ちゃんを胸に抱え

ふっと我にかえったとき

こんな事を考えました。

『幸せになってもらいたい』

でも、

『この子って、私がいなくなったらどうやって幸せになるんだろー?』

 

『親が2人共いなくなったらどうやって幸せにいきていくのだろー?』

そんな疑問が私の中にうまれ、

幸せになるために
何を残してあげられるのだろう・・・?

 

お金?・・お金は残してあげれないな〜🤣

家?・・・兄弟?・・・など色んな角度から色々考えて、

 

 

本人が経済的にも精神的にも

自立をした大人に育ててあげれば、幸せは自分でつくって

生きて行けるんじゃない?

と普通のことをとても冷静に考えました(笑)

 

親となったからにはソコを目標に

頑張ることが、親の責任だと思いました。

 

自分で幸せをつくって生きて行ける人になるようにこれからしっかり育てて行こう。

 

全てはそこからはじまっていたのだとおもいます。

『子供に強く生き抜く力

(幸せを自分でつくれる力)を

  身につけさせてあげよう』 

それがこのコの幸せ♥と思いました。

 

これまで約20年、

何度も子供のことで、悩みもがきながら

子供を育ててきました。

その間に、

やっぱり国民の三大義務はホントによく考えられている💡と思う事が何度もありました。

 

この日本はしっかりと制度を整えてくれている。

国民の三大義務を守り、与えられていることをしっかり学んで理解して定着させるように行動をしていくことだけで、ある程度の幸せは保証されているような気がしています。

 

『勤労』『納税』『教育』

親になったからには、子供に幸せになってもらうために教育を施さなければいけません。

 

私が子供とのコミュニケーションを大切にしてきて思うことは、

義務教育をしっかり定着させていくことで

『人が幸せに生きて行くための方法を8割は身に付けさせる事が出来た。』と思っています。

義務教育における勉強をとおして、

学校でならう『ひらがた、カタカナ、漢字、数字』などの言葉を覚えて『たす、ひく、かける、わる、』などの使い方をしる。

それを上手に使いながら『読む力』『書く力』『計算する力』の技を磨く。

その技をつかって、時には(コツもつかいながら)問題を解き、考え、我慢し、忍耐力、継続力、集中力、対応力、問題解決能力、想像力、思考力、回避力・・・を磨き、自分でこたえを導き出し、嬉しい気持ち、達成感、優越感、幸福感など自分が幸せになる力を養っていっているのだなーと感じる事が何度もありました。

 

子供は自分のもっている全ての力(技)をつかって、目の前に与えられた問題を解決しようとします。

勉強をしているときに、手が少しとまっていたら、よく声をかけました。

『自分の出来る技をなんでもつかって

色んな方向から考えてごらん。

ぜったい出来るよ。』と時間を与えて粘り強く考える時間は、隣で見ているのがとても楽しかったです。

『あ〜、考えてる。考えてる〜。

偉い。偉い〜。』と思って見ていました。

 

子供が自分の力で答えをみつけだしたときは、感動しかありませんでした。

また、子供のもっている武器(理解度)をしっていたからこそ、かけられた言葉だったとおもいます。

 

社会のなかで幸せに生きて行くためには、

使える武器はたくさんある方がよい。

と思うのです。

 

私にとれば、子供に義務教育を与えてる時間は、これから子供が社会で幸せに生きていくための大切な武器や道具をたくさん身体に身につけさせていた。そんなイメージでした。

だけど、子供ったら、せっかく無料で与えてもらった武器を簡単に落としてしまう。

それを1個1個後ろから拾い集めていた、そんなイメージです。

優しく優しく、優しい言葉で、子供がわかるように。理解をして、子供自身が自分で大切に管理できるようになるまで何度でも何度でも拾い集める。そんな行動は私にしかしてあげれない。と思っていました。

 

おそらく最初の教え方、伝え方で

その時々に子供の受ける印象は違うとおもうのですが、

学校から家に帰るまでには、たくさんの誘惑や楽しい事があるから忘れてしまう。

 

なので、習ったこと、受け取ったものの

守り方は家であらためて親が教えてあげること。

『そうなんだ。今日先生が教えてくれたことって、大切に覚えておかないといけないんだ』と子供に思い出させて、そこから、

 

じゃあ、大切にするにはどうすればいいのか?を

考えて見つけさせる事が、

自宅学習の親の役割なのかなと思っていました。

最初はなかなか1人では背負いきれないと

おもいます。

低学年のうちは一緒に大切にしていこうね。と力をかしてあげる。

 

社会にでれば、コミュニケーション能力が1番大事という人もいますが、コミュニケーション能力や優しさだけではやはり限界があると思います。

(自分を守る武器が少なすぎる。)

 

子供に努力をさせつづけることは本当に骨のおれる大変な作業でしたが、

塾に通わせなくてもできました。

お金をかけなくてもできました。

だけど、こうも思いました。

『あー。この厳しさは、子供の幸せを本気で願う親にしかできないな。これは親にしかできない。塾や学校の先生がしたら事件になる』

と思うことが何度もありました。

 

義務教育をしっかりと頑張れば

『読み』『書き』『計算』はできるようになります。

義務教育中に習ったことをしっかり土台として基礎固めすることで、それからはその基礎を上手に使って、いかようにも使いこなしていくことができ、自分の可能性を自分で花開かせて行くことができると思います。

 

お給料も上がらないのに、教育費が家計を圧迫している家庭は多いとおもいます。

また、経済的に余裕のあるお家は教育費に莫大な資金を投資するご家庭もあったり。

 

どの世代も、子供の可愛さゆえに教育をさせようと必死になっていったのがわかります。

 

1人しか育てる事ができませんでしたが、

私が思う本当の教育は、

やっぱり親にしかできない特権だと思うのです。

お金では買えないとおもっています。

子供を愛し、子供の幸せを本気で願い、しっかりと考えて行動をしてきたからこそ、

子供がキレたとき、かんしゃくをおこしたとき、叩かれたとき、消しゴムを投げたとき、ノートをえんぴつで真っ黒に塗りつぶしたとき、ドアをバンとしめたとき、汚い言葉をつかって反抗してきたとき思い出せない程の反抗があり痛い思いもしましたが、その時に

愛情をもって厳しく正すことが出来たのだとおもいます。

 

毎日毎日同じことの繰り返し。大量のプリントを与える、努力させつづける(試練をあたえつづける)事はとても辛いものでした。

 

子供に厳しさを与え続ける為には私が子供の信頼を得る必要がありました。

日々のコミュニケーションを通して、その時々に置かれた子供の立場や状況を理解して、声をかけてあげる。

 

その信頼を得るためには私自身が子育てについて勉強をして今まで苦手としてきた忍耐、根気、踏ん張り、相手に幸せを分け与えながら自分も幸せになる。そのための方法を考える。

そんな努力をする必要がありました。

 

それらのことを子供の義務教育を自宅でサポートすることでたくさん学べた気がしています。

 

子供に教育を施しているつもりが、実は自分が人としての生きる術を学んでいたのかもしれません。

 

とても自分が成長させてもらえた気がしています。

相手に幸せを施し自分も幸せになる。

 

子供に義務教育を通して、基礎学力をつけながら、人としていちばん大切な力(人の命を大切にする事=我慢する力)を教えることが出来たように思います。

 

親バカかもしれませんが、

自分に厳しく人には優しい子に育ってくれたと思います。

 

子供が『夢や目標』を達成し活き活きとすごす姿は、まさにこれまで堅実に子供と向き合ってきた自分へのご褒美なのかもしれないなと感じる事があります。

 

私は是非 今自分が感じている幸せを

今、子供の為に悩みもがきながらも一生懸命頑張っている若いパパ・ママさんにも味わっていただきたいと思います。

 

子供の幸せは塾にはない。

それが、私が子供に塾に通わせなかった理由です。

 

そして、義務教育が終わったとき、

『なんだ。』

『特別な事は何もさせなくても、

国から与えられた材料を一生懸命に親子で

向き合ってくるだけで、高校にはいけるんだな〜。』と思ったのを覚えています。

 

『義務教育中に無駄にお金を

使わなくて本当によかったな〜。』

 

と素直におもいました✨

 

 

少しでも参考になればうれしいです。