🧑『宿題やったー?』
『やったー』😄
🧑『ほんまー?』
『ほんま。』😗
よく耳にする会話です。
私はいつも・・・
『えっ?』
『うそ?』
『ほんまに?』
『そんな天才なん?』
私の娘なんてその辺りの学年は漢字も難しくなるし、算数も難しくなるし、
学校の授業だけでは、理解をさせるのが毎日大変で、しんどかったけどな〜🙄
理解度を確認するには、やっぱり学校のドリルを基本に、補助教材の基礎編⇒応用編をつかって、
『丸は丸でもどんな?』と、
『◯かな◎かな●かな?』と1週間ぐらいは何回も練習をさせて、丸の濃さをみながら様子を見る作業をしていました。
3日後に確認をして、2週間後に確認して、
また3日後に確認をして、一ヶ月後に確認して・・・
それを9年間をかけてず〜と確認作業をしていました。もう大変😢
当然、毎日学校から新しい課題を与えられているわけで、学年が上がるたびに確認作業をする量もふえるので、家庭学習の時間が長くなって当然だったとおもいます。
やっぱり、その理解度はその子供の数だけ違い、先生の話を聞いただけで、応用問題まで解けるぐらいの天才もいれば、たまたますんなり入ってくる内容だったのか、なかなか理解をするのが難しい単元なのか、それは誰にもわからない。
1番ややこしいのが、気分で◯の時がある。
もちろん反対もあり、気分で☓になる時もある。子供は情緒が安定しないから当然のことではあるけれど、そのまま大人になり
気分で◯になったり、☓になったりされたりすると大変困るわけで😔
勉強は子供にとったら仕事と一緒!
大人になって、気分で仕事をされると困ると思って、
(周りの人に迷惑かけてしまう⇒嫌われる⇒幸せじゃない)
仕事は、雨の日も風の日も病めるときも
いつなんどきも・・・淡々とする。
その心を平静に保つ訓練を子供のうちから
宿題を通して【毎日やることリスト】を
親子で取り組むことで家で訓練していた。
という感じです。
定着させるのに、1年も2年もかけてゆっくりフェードアウトさせれた単元もあるし、
案外すんなり理解できた単元もあったりと。
なので、
私には
🧑『宿題やったー?』
『やったー』😄
🧑『ほんまー?』
『ほんま』😗
の会話には、
そんなに一回で理解できるほど
賢い頭なん?😲天才✨
です👏
宿題とは、学校から出されたお題。
宿題って、『やる』ことが目的ではなくて、
『今日は学校からこんな事を
教えています。
是非ご家庭で理解をさせて、
覚えさせといてくださいね。』
この先の将来、ず〜っとつかえる技です。
宿題は覚えておくことに意味があり
忘れてしまったら、意味なくない?
という気持ちで、毎日必死に大事に大事に
ポン💦ポン💦忘れていく自分の子供の忘れ具合に半分呆れながらも、自分の子供やからしゃあないなー😔と拾いあつめて子供に大切にさせていた。
そんなイメージです。
義務教育をさせている中で、振り返ると
私の子育てのキーポイントは4年生だったと思います。
4年生で習う算数の単元は、中学生になると、もう一度カッコいい姿に変身して出現してくる単元だったのですが、
私は自分の子供のサポートをしながら思っていました。
『なるほどな〜。私が中学になって全く数学を理解出来なくなってしまったのは、小学4年生の単元が頭に入ってないから難しかったんだ💡』と気が付きました。
4年生は本当に難しかったと思います。
勉強も難しくなるし、精神面でも成長する。それに加えてお友達関係もややこしくなって、身体も大きくなり、
『やっぱり 塾に放り込んでしまおうかな〜』
と思ったけれど、
(塾を駆け込み寺のようにつかうな!って話ですが😅)
多分あの時の子供の心は、自分で自分がどうしたいのかがわかっていない。
そんな気がしていました。
周りの大人の言ってる事もわかるようで、わからないような。
友達の言ってることもわかるようでわからないような。
子供の世界を想像すると、みんな色んな自我が表に色んな形であらわれてワチャワチャしていたのかな〜と思います。
なので、おそらく家でママの言ってる事も
正しいのか正しくないのか?
娘が『ちょっと面倒くさいな〜🙄』『ワンちゃん逃げれるかも?』とよこしまな心を見せだした時だったとおもいます。
『ちょっと、そんな言葉どこで覚えてきたの?』
というような言葉を私に投げかけてきて、
嫌なこと(勉強)から逃げるようなことを考えたり、親の目を盗んで、答えをみて問題を解いて、あたかも自分1人で答えを導き出した。みたいな悪知恵をはたらかせるようになったりと・・・
良くも悪くも、うまく帳尻を合わせるようになる。もっと簡単にいうと、
親には(宿題は)『やった』というとけば、親は機嫌が良い。よし、これでいこー。
みないな要領の良さを学ぶそんな時期だったのかもしれないな。とおもいます。
『おっと・・・』
頭の賢さの使い方が全く違う。
と、それはそれは厳しく子供の心を正す努力をしました。一方的にならないように声のかけ方をとても気をつけました。
子供は学校で勉強だけでなく、よくも悪くも色んな事を覚えて家に持ってかえってくる。
善にも悪にも進む可能性をもっている。
意識がそれだけ色んな方に向く。そんな時期だったと思います。
それらの事を【毎日やることリスト】を淡々と毎日一緒に過ごす時間の中で感じとり、子供の飛び出た悪い所をみつけ、悪いクセ(怠け癖)をつけさせないように厳しく正し、
『何のために勉強をしているのか?』を
問いかけて、
その学年に応じた声かけをして、自分で勉強をする意味を考えさせて、
私は『いつでも勉強を辞めたかったら辞めてもいいよ。』
(内心は辞めてほしくはないのだけれど、絶対やめない強い子と信じてたけれど)
という優しい気持ちを言葉で伝えていたと思います。
それでも、
最終的には、涙を流しながらも【毎日やることリスト】をこなしていたので、
わずか10歳ソコソコの小さな心にも何か感じものがあり、書く手を止めなかったのだと思います。
涙を流しながらプリントに向かう姿をそばでみているのは、今でも思い出すと涙がでそうになるほど、胸がつまるしんどいものでした。
あくまで想像ですが、学校の子供の世界では、学力も精神面でもあっちこっちに向かうレーザービームのような光で心や身体、学力などの差がドンドン表に現れだしていたとおもいます。
(子供の世界も大変やったやろなーと😢)
3年生ぐらいから、【毎日やることリスト】は増えていきました。
例)
◯計算ドリル
◯百マス計算
(2年生で習った掛け算の強化。
3年生の夏休みの家庭学習に毎日しました)
◯漢字ドリル
◯百字帳
◯国語の教科書本読み
◯朝倉ドリル
小学3年生からの補助教材。
◯日本地図県庁所在地
◯ハイクラス基礎プリ
体調をみて、量の調整はしていました。
※3年生は漢字がグンと量が増えて、百字帳の宿題はありましたが、家では復習の為の百字練習をしていました。
雰囲気で書いてる字もたくさんあったので。
一字一字百字帳の丸付けは大変だった記憶しかありません😢
我ながら、母も子もよくカラダを壊さなかったなーと少し反省をしています😥
子供に百字帳で漢字の練習をさせていた時に、読み仮名を私がかいて、その横に次の日に漢字を書く練習をしていました。
次の日のプリントの準備、弱点をみつけ強化する部分の対策は、毎日毎日深夜の2時ぐらいまでかかっていたので、我ながらパートをしながらよくも体を壊さなかったものだな。とおもいます。
↑
このような書いて覚えるタイプを使っていました。
算数は、受験研究社の標準問題集とハイクラステストを一冊づつ購入し、何回も何回も何回もいったりきたりと練習しました。
さんすう→数学は中学3年生まで受験研究社の問題集を使用しました。
こんな量のプリント。一人で抱えきれるとは到底思えなかったです。
宿題は、『やること』を目的としてしまうと、気持のモチベーションはしんどいかなとおもいます。
宿題を通して、子供の将来を想像する。
そんな気持ちで、家庭学習をサポートしていたとおもいます。
参考になることがあれば嬉しいです☺️